京都デートに使えるトリビア
【世界遺産 二条城編】
by SIGN POST 京都
二条城のデートスポット情報
① 現在の二条城は実は5代目!?
② なぜか東に傾いている二条城…
③ うぐいす張りは最新防犯システム
④ 虎が描かれた襖に… え?ヒョウ柄?
⑤ 大政奉還の黒幕は ”坂本龍馬” ?
京都が誇る定番観光スポット ”二条城”
修学旅行の行き先が二条城だった!と言う方も多いのではないでしょうか。
豪華絢爛な唐門に、歴史を感じる二の丸御殿、美しい庭園に、京都市内を一望できる天守閣跡…
見どころ満載、デートスポットとしても特にオススメの観光地ですが、実は二条城には隠された秘密がいっぱい!
デートが倍楽しくなる、彼女・彼氏に自慢したい ”二条城トリビア” をご紹介いたします。
現代の二条城は実は5代目!?
世界遺産 ”二条城”
実は5代目二条城だった?
歴史の影にいくつもの二条城が!?
P.N 三代目ジェイソンブラザーズさんより
徳川家康によって、1603年に建造された現在の ”二条城” ですが、戦国時代に二条城と呼ばれたお城が何度も建造されては、取り壊されてを繰り返してきた歴史があるのです。
”二条城” を最初に築かせたのは、戦国時代の主役 ”織田信長” その次に築いたのは ”豊臣秀吉” そして最後の ”徳川家康”と、三大戦国武将がそれぞれ別物の二条城を建造していたのです。
年代順に並べると…
- 1569年 初代二条城(”旧二条城” 現存せず)織田信長が、室町幕府将軍”足利義昭”のために建造
- 1577年 二代目二条城(”二条御所” 現存せず) 織田信長が建造し、皇族にプレゼントする。信長の息子が自刃した舞台。
- 1583年 三代目二条城(”妙顕寺城” 現存せず) 豊臣秀吉が築くが、3年後に聚楽第が完成したためほとんど使用されず
- 1603年 四代目二条城(”二条城” のちに改築) 権力を誇示するために徳川家康が築いた。ほとんど使われないまま荒廃
- 1624年 五代目二条城(”二条城” 現存) 徳川家光が当時の天皇様を招くために建造。天守閣も改築された現存のいわゆる”二条城”
というわけで、あまり知られていませんが歴史上 ”二条城” と呼ばれた建造物はたくさんあったわけですね…。 しかも、初代二条城が建造されてから、現在の二条城が築かれるまでわずか33年間!
リフォームの匠もビックリ!な驚きの突貫工事だったわけですね。
どのお城も、ほとんど軍事施設としての機能を果たさず、名ばかりのお城だったというのも興味深い! 伝説の戦国武将がこぞって建造した”二条城” そこには権力者が惹かれる何かがあったのでしょうか…。
二条城のデートスポット情報
なぜか東に傾いている二条城…
碁盤の目”京都”の町で
なぜか斜めに建つ二条城!?
地図で見ても一目瞭然!
P.N ピザの斜塔さんより
碁盤の目状に東西南北、綺麗に大通りが並ぶ京都の町。しかし、なぜか二条城は少しだけ東側、地図でいうと右下方向に傾いています。
京都御所をはじめ、他の歴史的建造物にこういった特徴は見当たりません。なぜ。二条城だけこのように傾いてしまったのでしょうか?
詳しい文献は残っていませんが、これには江戸時代の最先端技術”方位磁石”が関係すると言われています。
北極星を基準に整備された平安京の町とは違い、江戸時代には方位磁石を使用して南北を計測する技術が世界最先端とされていました。しかし、実は方位磁石の指す”北”は時代や観測地点によって少しだけズレが生じてしまうのです。
江戸時代当時の関西地方は、ちょうど東に”3・5度”傾いており、方位磁石に忠実に建造してしまったばかりに、本当の真北から少し傾いたと言われているのです。
もしかすると、最先端技術を使える権力を誇示しようとした徳川家康が、「おいおい、京都の町って実は正確に南北じゃないらしいぜ。本物の”真北”ってやつを俺が教えてやるよ。」と自慢げに建設を指示していたのかもしれませんね!
二条城のデートスポット情報
うぐいす張りは最新防犯システム
歩くとキュキュット!
うぐいす張りは防犯装置
忍者も泥棒も断念!?
P.N アルアール・ルパンさんより
歩くと「キュッキュ」という音がする二条城の床。鳴き声のように聞こえるため”うぐいす張り”と呼ばれていることは有名ですが、なぜ音がなるのでしょうか。
実はこれ、不審者が侵入した際に足音が聞こえるよう、わざと音がなるように設計段階から考えて作られているのです! 廊下の床板と柱を固定する釘に、少し隙間を空けておくことで重量がかかった際に木と釘が擦れる音が発生する仕組みになっています。
さらに、廊下を歩いている人間が場内の関係者なのか判断するため、関係者は歩くリズムを決められており、みんな同じペースで廊下を歩いていたそうですよ!
当時のお侍さんが調子に乗ってスキップなんてした日には、不審者と勘違いされ「曲者お!」と、バッサリいかれていたかもしれませんね…。
二条城のデートスポット情報
虎が描かれた襖に…え?ヒョウ柄?
美しい虎の障壁画に
なぜか一匹だけヒョウ柄!
おしゃれ…?なのか…?
P.N アニマル柄濱口さんより
二の丸御殿には、幾つかの豪華絢爛な障壁画がありますが、狩野甚之丞が描いた「竹林群虎図」も有名な障壁画のうちの一つ。
竹林でじゃれ合う、虎の家族が描かれた名画ですが、よ〜く見てみると虎の家族の中に”ヒョウ柄”が一匹。
実は江戸時代、虎と豹は同じ動物だと考えられており、虎の子供には何匹かに一匹ヒョウ柄の子供が生まれると考えられていたそうです。
たしかに、私も詳しい違いはわからない”虎”と”豹” 当時の考え方からすると、むしろリアルな状況を描いた作品だったわけですね。
ちなみに余談ですが、キリンの学名は【 Giraffa Camelopardalis 】ですが、これは「早く走るヒョウ柄のラクダ」という意味だそうですよ。 …。
二条城のデートスポット情報
大政奉還の黒幕は ”坂本龍馬” ?
脚本家 ”坂本龍馬”
歴史的イベント大政奉還
龍馬が考えた台本があった!?
P.N いそべカツオさんより
二条城でみなさん思い出すことといえば…。そう、”大政奉還” ですよね! 二の丸御殿には大政奉還のシーンが再現されており、当時の様子をうかがい知ることができます。
しかし、実はこの大政奉還は幕末のヒーロー”坂本龍馬”がシナリオを考え、幕府に助言したことで実行されたものだとご存知でしょうか。
政治的に風当たりが強くなり、政権運営に苦しんでいた将軍”徳川慶喜”と、開国を目指して新政府樹立を構想していた”坂本龍馬”の思惑が一致。
龍馬は「船中八策」と呼ばれる新政府構想を説くとともに、政府への「土佐藩大政奉還 建白書」というシナリオを後藤象二郎と語り合います。
- 1 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事 【大政奉還】
- 2 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事 【大政奉還】
- 3 有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事 【官制改革】
- 4 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事 【条約改正】
- 5 古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事 【憲法制定】
- 6 海軍宜ク拡張スベキ事 【海軍の創設】
- 7 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事 【陸軍の創設】
- 8 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事 【通貨政策】
その案が土佐藩主から徳川慶喜に提示され、そのシナリオ通りに江戸幕府は政権を朝廷に返上。 江戸時代に幕が閉じたというわけです。
ほぼ坂本龍馬の構想通りに、民主化が進められた明治政府。おかげで現在の発展した日本があると言っても過言ではありません。
二条城のデートスポット情報
二条城デートにご活用を…
いかがでしたでしょうか。二条城デートがより一層楽しくなる、そんな豆知識をご紹介しました。
”うんちく”と言ってしまえばそれまでですが、デート中にさらっとこのような話が出てくると会話も弾みそうですよね!
是非、実際に二条城を訪れながら、これらのトリビアを少しでも思い出して頂けたらなーと思います!
二条城まつりも終わり、少し人混みも減ってきた二条城ですので今のうちに”歴史探訪デート”をお楽しみください。
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